中世

【日本史】地頭とは何なのか?について東大卒の元社会科教員がわかりやすく解説

 

地頭とは何なのか?について説明します!(※鎌倉時代の話)

地頭について調べたけど、Wikipediaとかの説明は詳しすぎてわかりにくい!っていう人向けです。

 

この記事の信頼性

僕(もちお)は、元社会科教員。

  • 日本史についてそれなりにくわしい。

僕(もちお)は、東大入試で日本史を選択。

  • 日本史についてそれなりにくわしい。

 

望岡 慶
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地頭とは

地頭っていうのは、土地の管理をする役職です。

 

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地頭

  • 土地(地域)の管理を行う(荘園・公領に置かれた)
  • その土地(地域)にいる農民から(年貢)を集める
  • 集めた(年貢)を納める

 

これだけだとわかりにくいので、「あーなるほど!そういうこと!」って思ってもらえるように頑張って説明します!

 

 

鎌倉時代の土地のあり方

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日本列島の土地は、「ここは公領だよね」「あそこは荘園だよね」って感じで、公領と荘園が入り混じっている感じになっていました。

  • 公領=国衙領=朝廷が支配している土地
  • 荘園=貴族や寺院の私有地

 

この仕組みのことを荘園公領制と言います。くわしくはこちらの記事で。

 

 

公領と荘園が混在するようになった過程

奈良時代にひとまず完成した「天皇中心の国家」(律令国家)では、このような方針がとられていました。

  • 「日本の土地は天皇のものですよ!」(公地公民の「公地」)
  • 「生きている間は、食べていくための農作物を作るための土地(口分田)を6歳以上の男女にあげますよ!」(班田収授法)

 

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んが、いろいろあって、天皇は「自分で開墾した土地はあなたのものですよ」ってことを認めるようになります。これが743年の墾田永年私財法。

 

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この墾田永年私財法をきっかけとして、貴族や寺院が今まで未開の土地だったところを開発しまくって「オレの土地」を作るようになりました。これが荘園=貴族や寺院の私有地です(初期荘園)

 

その土地の所有者である荘園領主は、土地の一部を農民に貸してレンタル料をとったりしたようです。

 

その後、単に開発をするだけでなく、寄進が活発に行われるようになったりして、荘園がどんどん増えていくことになります。

日本史でわかりづらいランキングトップ10に入りそうな「寄進」についてはこちらの記事で

 

こうして、日本の土地は公領(朝廷が支配している土地)と荘園(貴族や寺院の私有地)が入り混じることになったわけです。

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ただ、「オレの土地」(荘園)だとしても、税を納めなくてもOKっていうわけではありませんでした。天皇は、新たに開墾した土地からも税を取ることになっていたのです。

貴族や寺院が開墾して作った荘園も、朝廷に税を納める必要のある土地だった

ところが、人間っていつの時代も税を納めたくない生き物なんです。結局、あの手この手を使って「税を納めなくてもOKな特権」を認めさせることに成功したところも出てきました(中世荘園)

 

このあたりについてはこちらの記事で説明しています。

荘園・寄進・公領(古代の土地制度)について

 

 

土地の管理をする役職【本題】

んで、ここからが本題なのですが、

 

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貴族や寺院が土地を開発しまくったり寄進されまくったりして「オレの土地」(荘園)をたくさん持つようになると、自分一人ではそれらの土地を管理しきれなくなりますよね。

そこで、「その土地を管理する人」が必要になるわけです。これが荘官(しょうかん)です。

 

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荘官=荘園領主から現地の管理を任された人

※実際に土地の開発をした人(開発領主)がそのまま荘官に任命されることもあった

 

妄想ですけど、例えばその土地で火事が起きたりしたら、「火を消すぞー!」ってリーダーシップをとって消化活動をしたりしたんだと思います(適当)。こういうもろもろの仕事が「土地の管理」のはず。

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あと、その土地にいる農民から収穫物(税)を集めて荘園領主に差し上げる、っていう仕事もしていました。

 

 

一方、公領でも土地の管理をする人が必要になってきます。

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奈良時代にひとまず完成した「天皇中心の国家」(律令国家)では、「一人一人の人民から税を集める!」っていう方針だったんですけど、一人一人から集めるのってすごく大変でうまくいかなかったんです。

 

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その結果、天皇はそれぞれの地方(国)をまとめる国司っていう役職のトップの人(受領)に権限と責任を集中させて、「国内の支配は任せるから税を集めて持ってきてねー!」っていう方針に転換した。

 

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んで受領は、自分が担当している国にいる有力な農民に「あんたがいる地域の税をまとめて持ってきてね!あんたが代表者だから!」って頼むことになるわけです。

もしくは、有力な農民に「税をそんなに納めなくてOKにしてあげるから、新たに土地を開発してよ!んで管理してよ!」ってお願いするようになりました。そうしたら受領の取り分が増えますからね。

 

この有力な農民が、受領からの税の取り立てを回避するために自分がいる地域を荘園領主に寄進したりするようになって、荘園と公領がさらに入り混じることになってわけわかんなくなっていくのですが、、、、、、、(←まじ複雑)

 

 

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ここではとりあえず「荘園でも公領でも土地の管理をする人がいて、その管理人が税(年貢など)を集めて、領主に納めるようになった」っていうことを理解してもらえればOKです。

 

土地の管理者(荘官など)

  • 年貢の徴収・納入を行う

 

 

最後にようやく、地頭に関する本質的な話をします。

 

武士の時代【地頭とは】

土地は富の基盤です。なので、土地の開発が進むにしたがって土地の境界をめぐる対立がたくさん生じるようになります。「ここはオレの土地だし!」「いやワタシの土地だし!」みたいな感じ。

 

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ただ、天皇としては「地域社会でのトラブルは現地で実力で解決せよ!(自力救済)」って感じの方針だったので(←おそらくすべてのトラブルに対応する余裕がなかったのでしょう)、、、こうなるともう武力がモノを言う時代になるわけです。

 

 

んで、武士が成長していって…源氏と平氏が二大勢力になっていって…(←思いっきり省略しています)

 

 

土地の境界をめぐってケンカして負ければ土地を失う可能性があるわけなので、土地の管理をしている人は、「ここはオレが管理している土地だ!そのことを誰かに認めてほしい!誰かーーーーーー!」っていう気持ちになるんです。

土地の管理をしている人は土地を守るために武装をしていることが多いわけですが、自分のバトル技術だけで何とかするのはシンドイのが正直なところ。

 

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で、それぞれの地域の土地管理者は「オレはどの武士(親分)についていくのがいいんだ?」「自分の土地を守ってくれそうな親分は誰だ???」って頭の中でむちゃくちゃ計算するようになるわけですよ。

 

そこでみんなが注目したのが、あの源頼朝でした。

 

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「源頼朝さんはツヨイ!あの人についていけば間違いないはず!今後もこの土地の管理をしていけるはず!(=この土地の収穫物を自分の財布に入れることができるはず!)って思う人が多かったんですね。

 

んで、各地の武士は源頼朝さんと主従関係を結ぶようになった。

源頼朝は、自分についてきてくれた=奉公してくれた武士(主に東国武士)に対して、御恩をあげるわけです。

御恩

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・あなたがこれまで管理していた土地の支配を今後も認めますよ(本領安堵)

 

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・敵から没収して新たにゲットした土地の管理をあなたに任せますよ(新恩給与)

 

 

こうやって土地の管理を認めることを、その土地の「地頭に任命する」と言うのです。

 

 

土地の管理を認めてもらえれば、その土地の収穫物を自分の財布に入れることができるようになるので、武士にとってオイシイ話なのです。

あと、あの将軍様に認めてもらえた!っていうお墨付きがあれば、他の人がその土地に手出ししにくくなりますよね。

 

守護に任命されるのと比べると、地頭に任命される方が100億倍うれしかったはずです。

 

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こうして鎌倉幕府は、各地の武士を地頭に任命することによって武士(土地の管理者)をまとめていって、実質的に「日本を支配」するようになっていくわけです。

 

御恩と奉公の関係について、くわしくはこちらの記事で。

御恩と奉公、武士の生活について

 

まとめ

地頭

  • 土地(地域)の管理を行う(荘園・公領に置かれた)
  • その土地(地域)にいる農民から(年貢)を集める
  • 集めた(年貢)を納める

 

望岡 慶
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関連:日本の歴史の漫画を東大卒元教員が比較して紹介

 

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