「古代の土地制度について勉強したい」
このブログ記事は、そんなあなたに向けた記事です。
本記事では、
古代の土地制度
について説明をします。
この記事を読むと
- 荘園・寄進・公領とは何なのか?がわかる
この記事の信頼性
僕(もちお)は、元社会科教員。
- 日本史についてそれなりにくわしい。
僕(もちお)は、東大入試で日本史を選択。
- 日本史についてそれなりにくわしい。
※わかりやすくするために、ちょっと崩した表現をすることがあります。
古代の土地制度
荘園などの、土地の歴史について話をします。
- 荘園とは何なのか?
- 寄進とは何なのか?
- 公領とは何なのか?
このあたりについて説明します。
※前半と後半の2つの記事に分けます。
前半の記事はこちら

④平安時代の土地
律令国家の土地の管理の仕方をいったんまとめます。
- (1)6歳以上の全ての人に口分田を与える(富の基盤を人々に与えて生活できるようにし、税を納めてもらう)
- (2)新たに開墾した土地の私有を認める
律令国家にとっては、1つ目が重要です。
「6歳以上の全ての人に口分田を与える」っていうのを実現することで、人々に税を納めてほしいわけです。

ところが、9世紀末頃になると、「戸籍・計帳に登録された男性を中心に税を課す」っていう制度が崩壊状態になりました。
名簿を見てみると、不自然に女性の人数が多くなっていたりしたんです。

律令国家はおもに男性から税をとる方針だったので、名簿でズルをして女性の人数を多くしちゃえば、税から逃れることができるわけです。

あと、戸籍に登録された場所から、人々が逃げ出しちゃったりしていました。
このように、名簿(戸籍・計帳)が実態と合わなくなってしまった。
そうなると、口分田をプレゼントしたり、税を集めたりできなくなりますよね。

そこで朝廷は、国司のトップの人に権限と責任を集中させて、「国内の支配は任せるから税を集めて持ってきてね」ってことにしました。
国司っていうのは、各地(国)の仕事をする役人のことです。
権限と責任が集中した国司の最上級の地位のことを受領って呼ぶようになります。

このように、律令国家は戸籍・計帳に登録された男性を中心に税を課すという方針をやめて、受領に税を集めるのを任せることにしました。
こうなると、受領はおいしいポジションになります。

朝廷に税さえ納めれば何をやっても良いって感じになったので、わざと多めに集めて、余った分を自分の財布に入れることもできちゃうわけですよ。
だから、受領からすると、税を課すことのできる土地が増えれば増えるほどうれしい。
っていう理由もあって、受領は、土地を開発したり再開発したりしてくれる人に対して、「税を少なくしてあげますよ」とか言ったりして優遇しました。
こうして、10世紀頃から積極的に土地を開発した人のことを開発領主と言います。
開発領主の中には、貴族の中でランクが低めの下級貴族が多くいました。
ランクが低めの貴族って、政府の中で出世する見込みがないので、地方に行っておいしいポジションにつこうとしたりしたんです。
例えば、国司になったりとか。
で、地方に住みついて、土地を開発して開発領主になって、それで利益を得るっていう感じです。
⑤土地にかかる税から逃れるために
税を集める権利を握った受領は、税率をすごく高くしたりもしました。
そうなると、税を納める人は、税からますます逃れたくなりますよね。
いつだって、人間は税を納めるのは嫌なんです。

富を拡大する方法、もっと簡単にいうと、貯金を増やす方法って2つあります。
- (1)収入を増やす
- (2)支出を減らす
収入を増やすっていうのが、土地の拡大にあたります。
私有地を拡大することで、収入を増やすことには成功しています。
一方、支出は税です。
この税を少なくすれば、自分の富を拡大することができますよね。

税を逃れるために、人々はいろんな工夫をしました。

荘園を持っている貴族や寺院は、政府や受領と関係を築いて、税を納めなくても良い特権を認めてもらおうとします。
このような荘園は、単に田んぼだけじゃなくて人々の家とか山とか川とかを含んだ結構広いエリアだったらしいです。
さっき説明した初期荘園とは、そのあたりが違います。
ただ、政府や受領と関係を築いて税を納めなくてもOKな特権を認めてもらうのが難しい人々もいます。(開発領主)
そういう人だって、税から逃れたいんです。

もう1つの方法が、寄進をするっていう方法です。
やっと寄進の説明です。
受領(国司)は、「新しく開墾した土地は税を納めなきゃいけない土地だ」っていうことを根拠にして、税を取ろうとしてくるわけです。
そこで、税から逃れたい人は、中央政府の有力な貴族や寺院を見つけて、彼らにこう言います。
「税から逃れたいので、この土地をあなたのものってことにしてくれませんか?この土地を受領(国司)から守ってくださるのであれば、あなたに手数料をお支払いいたしますので」
これを寄進と言います。

寄進を受けた貴族や寺院はその土地の所有者ってことになります。
貴族や寺院の私有地のことを荘園と言いましたよね。
なので、寄進を受けた貴族や寺院は、その荘園の所有者(荘園領主)になります。

このように、寄進によって生まれた荘園のことを、寄進地系荘園と言います。
寄進してOKっていうわけじゃなくて、ちゃんと正式な手続きが必要です。
「ここからここまでが荘園ですね」っていう感じで。
こうして寄進地系荘園ができあがると、その土地を開発した実質的な所有者は、その土地にいる農民から税(収穫物)を集めて、それを荘園領主に手数料として払う。
荘園領主は、その土地を開発した人から手数料をもらう代わりに、税を集めようとする受領(国司)からその土地を開発した人を守ってあげる。
なんで守ることができるのかというと、受領(国司)を任命するのは中央政府だからです。
中央政府の有力者と受領(国司)はズブズブの関係になっていますので、「この土地は、あの有力者のものですよ」って言われちゃうと、そこの土地から税を集めにくくなっちゃうんです。
(国司の方が力関係的に上で、お構いなしに税を集めようとすることもあった)

ぶっちゃけ、「なんだこれ、むちゃくちゃじゃん」って思うかもしれませんが、その通りで、むちゃくちゃだったんです。
自分の利益をゲットできれば、何でもありっていう世界になってきたんです。
受領は自分の収入を増やせればそれでいいし、人々は税から逃れられればいいし、貴族や寺院は手数料をもらえればそれでいいし、って感じで、いろんな人の思惑が複雑に絡み合って、バランスが保たれていました。
⑥荘園整理令と荘園公領制
ただ、さすがに、税を納めなくてOKな荘園が増えると、受領に税を集めてもらっている朝廷(中央政府)は困りますよね。
収入がなくなるまではいかなくとも、収入が結構減っちゃうわけです。
ってことで、天皇は荘園整理令っていうのをしばしば出すことになりました。
税を納めなくても良いことになっている荘園をちゃんと審査して、「本当かな?」って確かめるんです。
ただ、最初の方はこの審査の作業を国司がやっていたので、あまり効果は上がらず。

そこで、後三条天皇は1069年に延久の荘園整理令っていうのを出します。
これは、審査のためのちゃんとした役所を作って、天皇がリーダーシップをとって行った荘園チェック作業です。
この結果、「税を納めなくてもOKな、ちゃんとした荘園」と「認められない荘園」っていうのがはっきり区別されることになりました。
で、「認められない荘園」を持っていた人は、税を逃れるために、ますます寄進をすることになるわけです。

こうして、日本列島の土地は、貴族や寺院の私有地である荘園と、国の土地である公領とにはっきり分かれました。(荘園公領制)
まとめ
以上、
古代の土地制度
について解説をしました。
まとめると、
- 土地は富の基盤
- 律令国家は、天皇のもの(国のもの)である土地を、6歳以上の全ての人に対してプレゼントしていた(班田収授法)
- 律令国家は、口分田の不足に対応するために、新しく開墾した土地の私有を認めた(墾田永年私財法)
- 墾田永年私財法の後にできた私有地のうち、貴族や寺院の私有地のことを荘園と言い、この荘園は税を納める必要のある土地だった
- 「戸籍・計帳に登録された男性を中心に税を課す」っていう制度が崩壊状態になったので、律令国家は受領に対して「国内の支配は任せるから税を集めて持ってきてね」ってお願いをした
- 人々は、税から逃れようとした
- 荘園を持っている貴族や寺院は、政府や受領と関係を築いて、税を納めなくても良い特権を認めてもらおうとした
- それができない人々は、中央政府の有力な貴族や寺院に土地を寄進して、手数料を払う代わりに、土地を受領(国司)から守ってもらった
- ただ、税を納めなくても良い荘園が増えすぎると困るので、天皇は荘園整理令をしばしば出した
となります。
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