【教師のやりがい】感じる場面は5つ、感じない場面は2つ
教員をやって、「やりがいがある」とも「やりがいがない」とも思いました。
本記事では、元教員の僕が教員のやりがいについて思うことを説明します!
※公立教員(公務員)の話
教員はやりがいがある!と感じた場面
①生徒が成長しようとしている時
成長しようと努力・挑戦している生徒を見るとやりがいを感じました!
おせっかいにも「その生徒に対して、自分にできることはないかな?」って考えちゃうのが教員なんですよね。
例えば、
- 「もっと強くなりたい!」(部活)
- 「もっと指揮をうまくできるようになりたい!」(合唱コンクール)
- 「もっと良いものをつくりたい!」(学校行事)
っていう時などなど。
逆に、生徒が成長意欲を失った瞬間も「どうやったら立ち直るかな?」って考えちゃうのが教員なので、そこもやりがいを感じる瞬間かもです。
②がんばろうとしている生徒が協力を求めてきた時
がんばろうとしている生徒に協力を求められると、やりがいを感じました。
ここでやりがいを感じない人は教員に向いていないかも・・・?
例えば、
- 「もっと強くなりたいので●●を教えてください!」(部活)
- 「放課後、指揮の練習を一緒にお願いします!」(合唱コンクール)
- 「どうやったらみんなをもっと引っ張れますか?」(学校行事)
っていう時などなど。
「この生徒のためにできることをしよう!」って思いました
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③個別指導で生徒が「わかった」と言った時
個別指導の中で生徒が「わかった」と言ってくれた時に、やりがいを感じました。
②の「生徒が協力を求めてきた時」に近いです
自習の時間や休み時間に、生徒が「ここが分からない」「ここについて教えて」って言ってくることがあるんですよね。
そこで個別指導が始まるんですけど、その結果「あーそういうことか!」「なるほど!」「わかった!」ってなると、うれしいなあって思います。
ただ、本当はわかってないのに気を遣って(?)「わかりました。ありがとうございました。」って言う生徒もいますw
④生徒が保護者から自立するのを見た時
生徒が保護者から自立する感じがした時に、やりがいを感じます。
これはレアかも
「保護者にがんじがらめにされている」生徒もいるんですよね・・・。
- 「学校に行きたいと思っているのに、学校に行かせてくれない」
- 「部活をやりたいと思っていないのに、無理やり部活をやらされる」
- 「本当は●●高校に行きたいのに、親がそれを許してくれない」
などなど。わりとあるあるです。
子供が進む道を保護者がほぼ決めている・・・っていうのは決して少なくない。
もちろんお金を出すのは保護者だし、保護者にもある程度の決定権はあると思います。が、「子供をこうしたい!」っていう気持ちが強すぎる保護者もいます。
そんな時、親子での対立が起こることがあるんですよね。
そこで教員は(立場の弱い)生徒の自立に向けてサポートをする。必要に応じて生徒と保護者の間に入り、おたがいの考えを整理して架け橋的な役割を果たそうと頑張ります。
結果的におたがいが納得した形で生徒が保護者から自立するのを見た時、「よかったー!!!」って思います
⑤生徒が卒業後もがんばっていることを知った時
生徒が卒業後もがんばっていることを知った時に、やりがいを感じます。
卒業後の生徒が目標を持って何かに挑戦しているのを知ると、「うおおおおお、がんばれええええ!」って思うんですよ!
ただ、やりがいを感じない瞬間もあります。
教員はやりがいがない・・・と感じた場面
①保護者と同じ方向を向けない時
「生徒の将来のため」っていう方向で保護者と協力し合えない時に、やりがいを失う感じがしました。
生徒の将来のために何かを言ったり伝えたりしても、家に帰ってから生徒が文句を言うことってありますよね。
それはある程度しかたないこともあると思うんですけど、保護者も一緒になって文句を言ったりすることがあるんです。
「生徒の将来のため」っていう考えを汲み取ってくれず、一緒になってグチグチ言ったり・・・
「子供との一体感」をゲットしたくて一緒になって文句を言ったり・・・(←子供が思春期で普段は親に反抗している場合、その傾向が強くなる)
こういう時、とてつもない無力感を抱いてしまいます。
まあもちろん、教員側の言い方・伝え方が不十分だったりすることも少なくないです。子供と一緒に文句を言いたくなる気持ちも理解できます。
でも、
①教員のミスに対して子供と一緒にグチグチ言うこと
②「ホント教員って言い方・伝え方が下手だよなあ…仕方ないなあ」って思いつつも学校側の意図を汲み取って噛み砕いて子供に伝えること
①と②のどっちが子供の将来のためになるのか?ってのを大人には考えてほしいです。
思春期の生徒の場合、家庭だけでいろいろ教えるのはキツいはず。
一方で、学校で過ごす時間よりも家庭で過ごす時間の方が圧倒的に長い以上、学校だけで生徒の成長を全面的にサポートするのもキツい。
生徒の成長のためには保護者と学校がお互いに協力することが必要です。対立してちゃダメなんです。
もちろん、教員の言い方・伝え方が不十分でも学校側の意図を汲み取って解釈しなおしてくれたりする保護者もたくさんいます。
こういう保護者はすごくありがたい存在です!!
②授業の時
今の学校教育の仕組みに限界を感じて、やりがいが感じられなくなりました。
約35人の前で教員がひたすら喋る授業が「普通」だと思うんですけど、そういう授業は生徒ひとりひとりと向き合っている授業だとはどうしても思えなかった。
「『誰にでも分かりやすい授業』を目指しましょう!」って管理職は言いますよね。
ても、一斉授業で『誰にでもわかりやすい授業』を実現するのは無理です。一人一人理解力が違うんだから。絶対に無理です。
一斉授業を「わかりやすい」って思っているのは10人くらいじゃないでしょうか。もっと少ないかも?
結局、教員2年目くらいで、「生徒ひとりひとりと向き合うのって無理じゃね?」って思うようになりました
で、「50分の授業時間の中で、理解のスピードなどが違う35人の生徒全員の力をどうやったら伸ばせるだろう?」って真剣に考えたんですけど、、、
厳しいんですよね、今の学校教育の仕組みじゃ。何か別のアプローチをしない限り、キツイんです。
こうして「このまま教員を続けてもなあ・・・もどかしい思いをするだけだよなあ・・・」って思うようになって、結局、教員を辞めるにまで至ってしまいました。
伝えたいこと
教員の仕事はとってもやりがいがあるけど、
頑張ろうとすればするほど、絶望を感じることも多くなってやりがいを感じられなくなってしまう。
良い意味で力を抜いて、
良い意味で適当にやるのがちょうどいい!
気楽にいこうぜ!
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