「学校の先生になりたい」
このブログ記事は、そんな方々にとって参考になるかも!?と思って書いています。
こんにちは。元教師のもちお(@softenisuke)です。
教師の世界の理不尽さや教員の仕事の限界を感じて、精神を病み、退職しました。
退職した理由については、別記事で書いていますが、
今回は
僕が教員を志望した理由
について書きます。
最初から教員を目指していたわけではない
学校の先生って、小さい頃からずっと「先生になりたい!」って思っていた人が多い?
と根拠もなく思うのですが、僕自身は最初から教員を目指していたわけではありません。
大学生になって周りの人が就職のことを考えるようになってからも、たしかその時の僕は将来のことを真剣に考えてはいませんでした。
将来のことを考えるよりも、「いま目の前にあるもの」に対して努力するタイプの人間だったと思います。
中学校で、ソフトテニスと出会う
とはいえ、中学1年生から始めたソフトテニスに対しては、努力できませんでした。
入部当初の顧問の先生はとても厳しく、怖い先生で、練習に行くのが本当に嫌だったからです。
その先生は身長も高いし、ガタイもいいし、色黒でなんか茶髪だし…で、中学1年生の僕にとっては怖すぎる存在でした。
ちなみに羽賀研二に似てました。
ただ、その先生はソフトテニスで実績のある先生で、教え子を入賞させまくる名将。
県代表の選手を出したりもする、すごい先生でした。
授業の時とテニスコートにいる時とでは全然雰囲気がちがって、普段学校のなかで話をする分には普通に話をできたのですが、部活中は怖くて仕方ありませんでした。
練習に行くのが嫌すぎて、用事があると嘘をついて部活の友達と遊びに行ったこともありました。
同期は13人いましたが、気づいたら6人になっていました。
一番仲が良かった友達も辞めました。
それでも、「退部は絶対したくない。負けたくない。」と思い、食らいつきました。
中学2年生になって、その先生は異動になり、顧問が変わりました。
新しい顧問の先生はソフトテニス未経験の人。
どちらかというと「早く部活を終わりにしたい」と思っている人だったと思います。
その新しい先生にはいろいろとお世話になったし、良くしてもらったりもしたので、全然嫌いとかそういうのではないのですが、部活に関しては不満の対象でした。
- まだボールを打っているのに、終了時間ぴったりに「時間が来たから」と言って、すぐにネットを下げられたり。
- 風が強い日には、「強風のため今日の部活はナシ」と言われり…。
そこではじめて、厳しくて怖い前の先生の存在の大きさに気づいたのです。
そして、前の先生が作ってくれたこの部活を「自分が引っ張っていかなければ」と思って、後輩に指導したりと、必死に努力をしました。
こうして、中学2年生になって、やっとソフトテニスに対して努力できるようになりました。
前の顧問の先生の指導があったおかげで、大会で何度も入賞することができました。
メダルもたくさんもらいました。
が、最後の総体でまさかの予選負け。
最後の最後で結果が残せず、悔しい思いをしました。
涙が止まりませんでした。
そして、最初はソフトテニスが嫌で仕方なかったくせに、
いつしか僕はソフトテニスで進学高校を選ぶようになっていました。
受験勉強をし、母校で県代表になった先輩が進学した高校に、僕も進学しました。
高校で「ソフトテニスの神様」に救われる
高校の顧問の先生も、ソフトテニス経験者で実績のある方でした。
今思うと、僕は指導者に本当に恵まれていたと思います。
高校時代のことについては詳細は省きますが、中学時代につかみとれなかった
個人戦での県大会出場
を3回達成することができました。
県大会にやっと出場できるくらいですので、それくらい僕はセンスがなかったのですが、
最後の大会でも県大会に行くことができて
「ソフトテニスの神様!本当にありがとうございます」
と心から思ったことを覚えています。
ですが、県大会の初戦、何もできずにボロ負けしました。
で、悔しかったのでソフトテニスをやめきれず、大学でもソフトテニスを続けようと決意しました。
受験勉強をしながらいろいろ考えました。
特に強く思ったのが、こうです。
世の中には発展途上国がたくさんあって、貧しい生活をしている人もいる。
自分はこんなに恵まれていて教育も十分に受けることができているのに、世界には貧しくて教育を受けたくても受けられない子供たちがいる。
これは絶対おかしい。
で、漠然とではありますが、
将来、「貧しさを解消したい」「どんな人でも教育を受けられるようにしたい」って思うようになりました。
大学時代に教員免許は取ったけど、将来のことはあまり考えず、ソフトテニス漬けの大学生活を送った
念願のソフトテニス部に入りました。
が、大学でも山あり谷ありでした(詳細は省きます)。
大学生になって、授業などを通していろいろ考えているなかで、
「貧しさを解消したい」「どんな人でも教育を受けられるようにしたい」
という思いはだんだんと消えていきました。
発展途上国の貧しさを解消するって言っても、
そうしたら地球上の人間が全員、日本のような恵まれた生活をすること?
それって地球のキャパ的に無理なんじゃないか?
貧しさを解消しようと思ったら、日本人の生活レベルを落とさなきゃいけないんじゃ…
僕は『貧しさを解消したい』って思ってたけど、それってすごく無責任なことなのかも
こう考えるようになって、自分には覚悟が足りないと思い、結局、あきらめてしまったのです。
覚悟のない、小さな人間でした。
部活では、最後に一番悔しい思いをしました。
- 最後の大会、僕はレギュラーとして出場していました。
- そんな僕は、最後の最後の試合でレギュラーから外されたのです。
本当に悔しかったことを覚えています。
で、大学の部活を引退。
選手としては一区切りかなと思っていたので、今度は指導者として、今まで得たものを還元しようと思いました。
外部コーチをやって、「教師になりたい」と思った
僕が「教師になりたい」と思ったのは、母校(高校)での外部コーチの経験から、です。
大学の部活を引退した後、高校の顧問の先生のご厚意で、僕は何年か外部コーチをさせていただくことになりました。
高校生は一生懸命がんばっていたので、勝たせてあげたいと心から思って、かなりの時間を割いて指導しに行きました。
- 平日も、大学の帰りに直行しました。
- 部活の全体練習の時間が終わった後も、自主練に付き合いました。
高校生に「レシーブ練したいんでサーブ打ってもらっていいですか?」と言われたりして、1時間近くサーブを打ったり…という日々でした。
引退の時は、つらかったです。
引退の日は「引退式」があって、一人一人が言葉を言いますよね。
その引退式の直後、部長が僕のところに来て
「あんなに指導してくれたのに、最後勝てなくてすみませんでした」
と膝から崩れ落ちて号泣し始めました。
それを見て、つらい気持ちや申し訳ない気持ちを抱きました。
と同時に、
この人が部長のチームのために、ここまで努力してきて本当に良かった
と心から思いました。
ある選手は、
「優勝することができた時、『理想的なすばらしいテニスをしていた』と言ってくれて、本当にうれしくて…」
と涙ながらに語ってくれました。
新チームの部長になった高校生は、弱気で引っ込み思案な性格でした。
人前に出て何かを話したり、みんなを引っ張ったりするタイプではありませんでしたが、他に適任がいなかったので彼が部長になりました。
チームをまとめるのは大変で、冬頃には
「はやく引退したい。はやく部活をやめたい。」
と漏らすくらいでした。
そんな部長が、どんどんと成長していきました。
最後の大会前、彼は
「まだ後輩に伝えきれていないことがあります」
と真剣な表情で僕に語りました。
そして、必死に後輩の指導をするようになっていたのです。
最後の大会で彼は、県大会で上位に入る相手に対して、堂々と、互角以上に戦っていました。
弱気で引っ込み思案な彼は、そこにはいませんでした。
そして引退。
なんと彼は、引退の時に後輩に向けて話す時でも
「ボレーっていうのは、こうやってフットワークして…」
と言い、最後まで後輩に何かを残そうとしていました。
そして、
「先生、コーチ。本当にありがとうございました。」
と涙を流しながら感謝を述べてくれました。
そんな彼の成長した姿を見て、
教師の仕事は、教え子の成長が感じられる瞬間に立ち会える最高に幸せな仕事だ
と思いました。
僕は、教師になろうと決意しました。
中学生の時、高校生の時は「ソフトテニスの指導者になりたい。教師になりたい。」とは一切思っていませんでした。
ですが、「いま目の前にあるもの」に対して努力を重ねて生きているうちに、点と点がつながって、教師という道が形作られました。
子どもは「社会の宝」
そして、教育を通して、未来の社会に貢献したいと考えるようになりました。
公務員は安定しているから…とかそんなことは一切考えませんでした。
子どもは「社会の宝」です。
より良い社会、未来を築くのは、明日を担う子どもです。
そんな「社会の宝」である子どもの教育に携わることで、社会に貢献したいと考えました。
もしかするとその思いの中には、僕があきらめた
「貧しさを解消したい」「どんな人でも教育を受けられるようにしたい」
という夢を子どもに託したい…という気持ちがあったのかもしれません。
いずれにせよ、「社会の宝」である子どもの教育に携わる仕事は、とても魅力的な仕事だと感じ、僕は教師になろうと決意しました。
僕が教員を志望した理由のまとめ
以上、
僕が教員を志望した理由
について長々と書きました。
結局、いろんなことがあって僕は退職してしまいましたが、根っこにある思いは変わっていません。
この記事を書くにあたって、僕の「教員の志願理由」を見返してみたら、こう書いてありました。
質の高い教育を、全世界のいかなる状況下の人々も享受できる環境を作ることで、社会に貢献したい。
私の人生の目標(使命)である。
そんな思いもあって、教育現場を離れることにはなりましたが、
今、Youtubeやこのブログを運営しています。
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以上、もちお(@softenisuke)でした。
本を出版しました
「過去の僕のようになってほしくない」という思いを込めて、元教員の僕の具体的なノウハウをまとめた電子書籍を出版しました。
<目次>
- はじめに
- 第1章 長時間労働の理由
- 第2章 生産性を意識する
- 第3章 教員の仕事との向き合い方
- 第4章 スケジュール管理・タスク管理
- 第5章 作業環境を整える
- 第6章 教室環境を整える
- 第7章 メンタルを整える
- おわりに
いろんなキンドル本が読み放題になるKindle Unlimited会員の方なら、無料でお読みいただけます!
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教育問題についての僕の意見
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